雑記:「楽しい人生が送れる人」と「楽しい人生が送りにくい人」の違い

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■アレがシーズンオフだからサルサがやれる?!

最近昔の生徒さんがお祭りやアタルンバに来てくれています。正直住んでいる場所は遠いです。来るのだけでも大変でしょう。でも来る。活動的なのか、活力があるのか、積極的なのか、(暇なのか、彼女がいないのか、、、ん?!(笑))

でも直接的にはおそらく”他にやりたい事”がシーズン・オフだからでしょう。それも超活動的な趣味。なので通常エネルギーのレベルがそもそも高かった。だから遠くからはるばるサルサなんて踊りに来てくれる。

で、それは何を意味するか。その趣味がまたシーズン・インしたら来なくなる(笑) でもまぁいいか。あそこまでちゃんと踊れていればいつ再開しても腕前復活は可能でしょう。その腕前にはなった。

で、私が今回書きたい事はそんな事じゃない。人生で何か新しい事をやろうとするならまず何か、今まで行っている”事”を止める必要がある。

でもほとんどの人?! おそらく80%はそれがわかってないでしょう。オントップで、今までの習慣をキープしたままその上にやりたい事を盛ろうとする。

■優先事項をやる為に次優先事項は諦める、選択肢

・教授が生徒に教えるために取った行動…

教授が生徒に教えるために取った行動…

この話の趣旨は「物事には優先順位をつけるべき」という事です。健康、家族、友情、やりたい事等を優先すべきで、仕事や家/車等の物的資産(私はこれを”を手に入れるために掛けたローン”と言っている気がする)はバッティングしなきゃやってもいい程度、となる。確かにさもありなん。

でも私はもっと重要な事があると思う。それは「何かを入れるには、先に何かを出さないといけない」 

なぜならガラス瓶がいっぱいじゃない人なんて、ほとんど居ないからです。多分よっぽど引きこもり、子供部屋オジサン/オバサンとかでもない限り、80%はなんらかレギュラーな事を”やって”いる。仕事、それが終わったらコロナ前なら会社同僚と飲み会?!、家事?!、Netflix?!、、、

そして困る事は「すごい事」をやろうとすればするほど、今までやっているそれに比類した何かをストップしないといけないのです。ジムで体を鍛えるなら家事とNetflixはガッツリは無理だなぁとかね。でないといたずらに睡眠時間を削って健康を害しちゃう。健康って一番の資本ですからね。

■「思い込み」でやらなきゃいけないと思っている事はないか?!

で、サルサです。これ、ソーシャル遊びまで含めるとかなりのボリューム?! 少なくとも週1回はなんらか携わらないと腕はどうしても落ちちゃうし、何よりも会場で知人が作りにくい。次回行って会話した事のある知人がいるか居ないかってかなり”楽しみやすさ”、”楽しめる可能性”を左右させますので。

となると何が出来なくなる!? それ相応の何かをやめないといけない。と、まず考えるべきは「思い込みで”必要な事”だと思ってたけど違うかもな事」 私はこれが重要だと思う。

例えば残業。今は残業代稼ぐ為にわざとゆっくり仕事をするなんて人はいないでしょう。バブル期みたいに残業代出なくなっているからね。でも「上司より先に帰るのはまずい」とかの暗黙の了解とか?! この類をなんとかしないと。

うん。そうだね。ここまでは誰でも考えられる。でも次に書く事はどうですか?! 考えてみてください。

■「今夜は休まないとヘバるぞ」は不幸な考え方!?

私は独断と偏見で、次の事はさらに慎重に吟味しないといけない事だと思う。それは「休まないとその後辛くなるかも」症候群(笑)

例えばです。月、火、水と仕事後外出したとしましょう。「流石に木曜は休まなきゃ」という、一見すると当然とも思われがちなこの考えです。でも検証しましょう。これ、ホント?!

私も実はこの考えで動いていました。これからもある程度はそう動くでしょう。確かにあまりに疲れすぎると次の日の仕事は辛いかも!? 寄る年並み、辛いからね(笑) でも問います。それホント?!

そりゃいつもの習慣をブレイクしてやった初日はそうでしょうね。気疲れがとにかくすごい。でもその気疲れが無くなった場合はどうか。例えば火曜日夜に踊りに行って、迎えた水曜日に踊らないで家に帰って早く寝た日vs水曜も踊っちゃった日。木曜の疲れって本当に違う?! ごめん、私そこまで大差ないと思うのです。純粋な肉体的な疲れはね。

でも人は多分「そんなに踊ったら疲れちゃうでしょー!?」と頭で考えてやらないでしょう。水曜は自粛しちゃう。もしかすると水曜はマジ盛り上がって、最高に楽しい思いが出来たかもしれない。前々から仲良くなってみたかったあの人と話す事が出来て嬉しい思いが出来たかも知れない。

それを『絶対的に楽しい事が起きないし、それでいて本当に差のある”休み”になったのかもイマイチ不明な「そんなに$$$したら健康を害す」みたいな思い込み』で不意にしたのです。

■「楽しい人生が送れる人」と「楽しい人生が送りにくい人」の違い

これってね、私は「楽しい人生が送れる人」と「楽しい人生が送りにくい人」の決定的な違いだと思うんですね。楽しくなる可能性がある事をしないで、楽しい事が絶対に起きない上に見込んだ効果に差が出るかも分からない方を選ぶ。私は悪手かと思う。少なくとも良手ではなさそう。

多分ね、「怖い」んだろうな。楽しくなる可能性を見込んで動いて、それが起こらなかった時のがっかり感を味わう可能性がある事が。「楽しくなかったのは私の根本的な能力値が低かった」事を気づいてしまう可能性がある事が怖かった。

だから「休まなきゃ」という誰しもが納得する感じの言い訳をつけて、がっかりするかもしれない行動を回避するのです。で、ずーーーっと楽し事が起きない。当たり前ですけどね。ザ、「楽しい人生が送りにくい人」の典型。

結論。「新たなピンポン玉を入れるにそれに見合うピンポン玉/石/砂量を先に出さないといけない。その出す最右翼のものは”常識だと思い込んでいる、必要だと思っているモノ”」 その中でも私は特に「こんなに活発に動いたらどこかでへばっちゃうから」やらないという思考。本当は怖い故の単なる言い訳。これを真っ先に捨てるべきだと思う。

もし楽しい人生を送ろうとするならね。

ps

私は肉体的な疲れよりメンタルな疲れの方が健康に大きな影響を及ぼすと思う。そこでめっちゃ挑戦しない、徐々に試す、十分に休息を取る必要はあると思う。こここそ注意すべきでしょうね。

◆この記事に関連のイベント・アフターレポート:
https://seis-salsa.com/20221203_afterreport_atarumba/2668/

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