このシリーズ、ずっと放置してましたね。忘れてました&忘れてしまおうかとも思っていました。でも故有ってこっそり再開します。ちょっといろいろ狙いとかもあるのよ(笑)
で、5年くらいサルサやっている人で「なーーんかソーシャル会場で疎外感なんだよ」「他の人より楽しめてないなー」な人へのアドバイス。今回は振舞編です。正直振舞を変えれば人生は変わる! これだけは自信を持って言えますね。そのサルサ編って事で私の考えを読んでもらえたら幸い!(≧▽≦)
そして一番最初にいいたい事。それは「サルサ会場に入る時、目線を伏せるのはやめろ」という事です。
■逆の立場で考える:目線伏せvs目線上げ
でね。もし逆の立場なら「あったりまえじゃーーん!!」と思えるはずです。ぜひ想像下さい。あなたがサルサ会場に居たとします。端っこで休憩タイム?! ビール呑んでるでもいいですよ。
と、入口から知らない人が入ってきました。入った途端周囲をみて、知人が居たら会釈したりして入ってきます。顔には少々の笑顔も混じって?! そして会場脇に荷物を置く&靴を履き替え始めました。
そしたらもう一人、その後ろから会場に入ってきます。こちらも知らない人。お釣りの500円玉を財布にしまっている?! でもそこからも目線は下のまま、会場の脇を通りながら誰にも目配せせずに荷物を置く。靴を履き替えました。
で、そこから曲が変わります。
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この読者が女性の場合:『この二人のどちらかが』自分にまっすぐ近づくと「踊って下さい!」と言ってきました。
この読者が男性の場合:この二人が並んでいて、踊る準備OKそうです。
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で質問。さぁ、どちらと踊りたいですか?! その一部始終を見ていた場合、答えはほぼほぼ決定ですよね。サルサ会場は楽しい時間を持つ目的で来ています。楽しくなりそうな方が理想ですよね。そちらの方が長い目で見て、圧倒的に有利です。
■日本の教育は挨拶を軽視:優位性を習ってない!
でもこれが出来る人。日本人にはそうは居ないと思います。なぜならまず挨拶が軽視されている。第一印象も軽視ですね。良くすると処世術的に圧倒的に有利なのに、じゃぁ有利になろうという考えが無い。概念が無いと言ったほうがいいか。
おそらく学校教育でそうなっているからでしょうね。先生(目上に人)に挨拶をしなさい、は教えますが、友達に挨拶をしなさい(すぐ仲良くなれるから)とは教えません。おそらく先生もそれが重要かつ人生を楽しくするのに圧倒的に有利だと知らないだろう。(先生で人生楽しい人そもそも少ないんじゃね?! てか全員か?!(^。^;))
「楽しい人生なんて意味あるの?! この世に生まれた目的は修行して魂を磨くためでしょ!? 苦労すると天国で優遇されるから」
うん、そんな宗教もあるよね。日本もちょっと近い考え方あるかも。この世で得をするのは社会的に許されたほんの一部の権力者で、それ以外は「あの世で優遇」を狙うイデオロギー。その方が権力者も搾取・コントロールしやすいしね。そんな理由で定着したんでしょう。
■現代は「誰でも楽しい人生を送れる」時代
でも現代は富が非常に増えた。そんじょそこらの人達でも「楽しくなる」人生を狙ってあまりある文明を築きつつある。その上でサルサ。「楽しくなる」を目的にやるアクティビティですよね。(すげーと言われるのが第一義な人もいるけど(^。^;))
なので処世術的に圧倒的に有利な行動をした方がいいのです。それが、会場に入った時に「楽しそう、明るそう」な雰囲気を演出演技する。ソーシャル会場で楽しくなる、非常に重要なスキルなのです。
■会場で楽しそうな人はすぐ挨拶
教わってないからやり方が分からないかもですね。私も最初分からなかった。確かに会場で人気な人とか居るわけで、その人達は目線を上げて会場入ってきていました。挨拶を交わし楽しそう。羨ましいですね。私はその時思ったのです。
「会場に知り合いを増やさなければああならない」 それ以外のソリューションは無いと思っていました。会場でハイタッチする仲間がいて、初めてその振舞になるのだと。
でも違いましたね。誰でも今からすぐできる。目線を伏せない。周囲を見渡して、ちょっとした顔見知りだったら会釈して回れ。可能なら挨拶の声を出せ。そんなのが重要だったのです。
■挨拶をするから仲間になる。逆じゃない!
てか『逆』だった。会場で目線を上げて、会釈して、挨拶して、初めて会場で仲間が出来る?! うん、それに限りなく近いですね。その前のレッスンで一緒でその場で言葉を交わしても、次の機会に目線伏せてノー会釈ノー挨拶で通られたら、どう考えても仲間にはなりません。
もしあなたがサルサ場で楽しくなりたいなら、あなたから率先して動くのが圧倒的に有利です。目線を上げる、顔見知りなら会釈、出来れば挨拶。
ぜひ実践いただきたいと思います。
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