なんのこっちゃでしょう?! 私も今色々考えを整理させています。未完成。でもなんかこんな考えに至ってしまった。今までとほとんど真逆かな(^。^;) もちろん前の考え方に欠陥があったとは思わないんですけどね。
というのも昨日のレッスンでとある生徒さんに凄まじい気合を見せられてしまった。「やってやれない事なんてそうはないな」という事と「出来る範囲ででも一歩を踏み出す価値」です。
でね、思った。私は今までサルサをレッスンだけで過ごすって意味ないって思ってたんですよ。
ぶっちゃけます。ソーシャルの楽しさはレッスンの100倍です。そしてソーシャルの楽しさを受け入れようとしない人は、単に遺伝子からくる違和感に怯え、言い訳に甘えているだけ。覚悟決めて人生生きろや!! なんて言いたくなっていた訳です。乱暴を承知でね。
でもそうで無くても良いのかな、と思い始めてしまった。例えばほとんどレッスンだけだったとしても、その人がひどく孤独な人生を送っていたら?! これからそーゆー人めっちゃ増えると思うしね。電子的一人遊び中心で背中の寒さ的寂しさを紛らわして過ごしちゃった。気づいたら定年してた、とか。誰しもが予備軍。
で、そんな人が他人に「直接触れる」ってどれくらいあるでしょうかね。もし配偶者も居なければ、いや居たとしても関係完全に壊れてたら!? そーゆーのも多いでしょう。サルサのレッスンでも出てない限り1年ほぼ皆無の人も増えてくる、、、
そして言わずもがな。人肌のぬくもりに触れるって脳内快楽ホルモン、オキシトシンが分泌されるのです。幸福感も健康度も非常に影響される。
なので例えば私のサルサレッスンが人気があって、常に20人以上生徒さん居たりするコミュニティで、そしてそれにただ参加しているだけ。それでもその人の人生に何にも代えがたいものすごい価値があるかも知れない。
となるともぉ遺伝子からの違和感に一方的に甘えたとしても、相手の親切心と優しさに一方的に甘えたとしても、サルサレッスンに参加しているって代えがたい価値になるんだろうなぁと。ズルいっちゃズルいですけどね。
そんなのが欲しいだけの人にもまぁいいか、そんな多様性もありかなぁなんて思っても良いのか、、、それ以上の楽しさがあるのに味合わせられない歯がゆさを感じたとしても、ね。
うん、整理つかん。以上
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