雑記:サルサ仲間は「大きな弱い繋がり」でスタートさせる心つもりで幸福をめざせ

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■人間関係悪くしてサルサ界を去る/不自由になる場合

サルサも長くなると色々な人に会います。結論から言うと大抵はいい人です。外国の、しかも日本では歴史的タブーですらある『男女が触れ合う』が介されるペアダンスなんてやろうと思う人達ですから、変わっているのは確かですが(笑)

でそんな人達の中、残念ながら人間関係でこじれて不自由になったり消えていったりします。正直言いましょう。私の生徒さんでも拠無い事情で消えていくに近い人もいました。個々人ではいい人でしたよ。私には分かっている。彼らも他と同様、愛していました。

他にも消えていかないまでも、非常に不自由になっている人も居ます。「あの人がホームにしているからあのクラブにはいかない」なんてあるあるですね。そんな人は何かイベントに誘っても二の句も告げずに「誰が来るの?!」とか言い出す。極めて絡みにくい。

私としては「サルサなんて趣味程度のもの、どうしてそんなに人間関係でこじれるネタがあるの?!」なんて思っちゃう。いやウソかな。私にはこじれない程度にしか付き合わない”癖”があるからってだけ?! 私も例えば今の奥さんとドロドロで離婚したら、同じクラブには行けない可能性はあるかもな(笑)

■本当に「ごく少数の友人がいればいい」の?

で、人間関係論です。どのくらいの距離感がいいのか。私が真っ先に思い出すのは美輪明宏さん。「人間関係は腹6分目がいいの」 真意は「親しき中でも礼儀が保てる程度にしとけ」という事でしょう。それ以上に仲良くなるのを他人に求めてはいけない。

その他タモリさんや林先生(東進ハイスクールだっけ?!)も、「友達なんて極少数で十分」と言及していますね。親しい仲なんて、ほんの数人でいいんだというのはある意味でいう真理かもと思わせます。

で、私の体感はどうか。たしかに極少数の友人だけいれば生きて行けない事はないかも。長年嫌われ者だったので多くの時間それ以外に選択肢は無かったのですが(笑) 

でも今と比べるとどうでしょう。生きている意味が無かったと思えるくらい焦燥な世界でしたね。全く出汁が入ってない味噌汁を吸っている様な人生だった。

で、発見しましたこの動画。興味あったら見てみて下さい。

■【12分で解説】橘玲「幸福の「資本」論」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】

【橘玲】「幸福の資本論」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】


・幸福は土台があって初めて成される
 ・金融資本:お金(自由を得られる)
 ・人的資本:仕事(異性を得られる?!)
 ・社会資本:仲間(幸福を得られる)
・遺伝子は「好きな事に一極集中投資して目立ち、異性を獲得せよ」がプログラムされている
・幸福は社会資本からしか生まれない
 ・小さな強いつながり
 ・大きな弱いつながり
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■人間は良好な人間関係からしか幸福を感知出来ない

私がもっとも響いた所は「人類は”社会資本”からしか幸福を感じる事は出来ない」 もっと具体的に書きましょう。「人間は他人との関わりからしか幸福を感じる事が出来ない様に遺伝子設計されている」

つまりいかにお金持ちになっても、いかに事業が成功しても、それ自体に幸福は左右されない、というのです。

でも私が知っている社会の中で、だから仲間づくりの上手さが幸せになる唯一の道なんだよ、という向きには無いですよね。概ね皆無と言ってもいいか?! それよりもKPIの立てやすい「資産いくら」とか「年商いくら・従業員何人」とかの方が話題となる。

だから多くの人がミスリードされる!? なかなか幸福を味わう事が出来てない。日本人がとりわけなのかも知れませんが。

■人付き合いには2種類ある:『小さな強いつながり』&『大きな弱いつながり』

そしてもっと響いた事は「人間は『小さな強いつながり』と『大きな弱いつながり』で幸せを感じる」という部分。これ、目からウロコでした。

なぜなら極少数の親友さえいればいい、は両輪の片方しか表現していなかったのです。そして思い返す、過去の私は親友は居た。でも大きな弱いつながりはほとんど持っていなかったのです。

というか持たないのが人生における正解とすら思っていたのです。人付き合いは腹六分目とか言いながら、2分目すら作らなかったのですね。作れなかったとも言えるかも知れませんが。

そしてそれが今との大きな差なんだろう。そんな事を思いました。今は6分目程で付き合う良好な”大きな弱いつながり”を持っている。これが私のもつ大きなサルサ仲間です。焦燥で出汁の無い世界が、一気に楽しくなりました。

■間違いはサルサ界で『大きな弱いつながり』だけを求める事

で、思ったのです。サルサから去る程に、または不自由のある人は、この”大きな弱いつながり”を目指さなかったのではないか。全ての人を”小さな強いつながり”にしようとし、そして無理が出たのではないかと。

「私の催しがある時は他に出ないで参加して!」
「なんでそれに私を呼んでくれなかったの?!」
「###さんを蔑ろにした###さんの関係はもぉ行かない」
「###さんは###だから付き合いたくない」
「###しろよ、だって俺らは####じゃないか!」

この台詞は去る/不自由な人がよく言っていた事です。これってさ、よく見ると明らかに”小さな強いつながり”の仲を前提とした事じゃない!? 

私は思う。小さな強いつながりは本当に少数で良いのでしょう。人によって親、兄弟、配偶者、それに親友数人程度?! その存在は明らかに人生を楽しく豊かにしてくれる。

でもそれだけだと足りない。私にとっての多くのサルサ仲間の様な”大きな弱いつながり”も人生を楽しくしてくれるのに、非常に重要だと思うのです。

いわば出汁の効いた味噌汁になる存在。メインディッシュじゃないけど、無いと食事全体として気持ちよくお腹いっぱいになれないみたいな。

そしてもし良好な”大きな弱いつながり”を持とうと思うなら、ソーシャル・サルサは最適なシステムだと思う。会社同僚やボランティア活動、その他の何よりも育みやすい。利害・上下関係も競争も無いから。(持ち込む人は居るけどね、、、)

■サルサではとりあえず良好な『大きな弱いつながり』作りを狙え

よって提言。サルサでは努めて良好な”大きな弱いつながり”を作る努力をしませんか? その中で本当に本当に良い出会いがあったら”小さな強いつながり”に進んでもいいですが、全てにそれを狙う事ではない。

その方が圧倒的に幸福を感じやすくなる。幸せを感じる唯一の部分の土台が強力の構築されると思うのです。どでしょ?!

ご意見、ご感想

  1. […] は社会資本からしか幸福を感じる事が出来ないという事です。要約すると『仲間と一緒にいる事以外で幸福感を得られる事はない』https://seis-salsa.com/salsafriendsarelargenumberofmoderateconnection/2858/ […]

  2. […] せ(Well-beingとしてのですが)に大きく貢献すると書きましたが、異性のサルサ友達は通常の”希薄”ではありませんね必ずしも。 https://seis-salsa.com/salsafriendsarelargenumberofmoderateconnection/2858/ […]

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