雑記:”拒否グセ”をやめて”何でもOK”と呟け!

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■拒否グセになっていませんか?

「私$$$はだめなんです」

これ言う人いますよね。分からなくもないですよ。私も小麦アレルギーなので、疲れた時とかは小麦食品食べなません。「私、疲れている時は小麦はちょっと、、、」(^◇^;)

でもさぁこれを言う人って、結構他の事も人より多く言いませんか?! 「あ、私$$$もだめ」「$$$はやらないの」 理由を聞くと色々出てくる。どれも理解できる/頷けない事もない。でもさ、ちょっと多くね?!

モラルに訴える時もある。直近だと「コロナだから、病弱の人を危険に晒してはいけないでしょ。だからやらない」みたいな?! ま、論理性を理解できない事もない。

でも考えてみると昔っから肺炎は全く同じ状況で感染して、その死亡率はコロナより高いんだけどね。肺炎の時はOKだったけどコロナはだめとか、科学的・統計的な論理性はない気もする(^◇^;) マスコミに踊らされた感ハンパない、、、

でね、今私が言いたい事はそんな事じゃない。例えばある程度の論理性をもって「$$$はだめ」という人、単にその方法で拒否するのがクセになっていませんか?! もしそうなら(大抵の場合はそうだと思うが)、それは楽しい人生を送るにはかなり損をしている。”言い換え”をした方がいいかと思うのです。

■ちょっとした不安だけで拒否してません?

独断偏見で書きます。こーゆーの多い人、少なくない可能性で一度そんな理由を出したら”拒否”が受け入れられた。やりたくない事をしなくて良くなった。そんな経験があるんじゃないかなぁ。そして成功体験になってしまった。。。

でそれ以降、ちょっとでも気分が乗らない時は似た方法で回避しようとする。無意識にもっともらしい拒否の理由を作っちゃう。その理由付けが上手くなる。それでもやらせようとする外圧には「人でなし」レッテルを貼れるくらいの論理性。

で何よりも問題そうなのは、自分自身への説得が上手くなっちゃう。「私はそれはやらない。なぜなら$$$だから。仕方ないし当然だよね」 ぶっちゃけ自分でも気付けなくなちゃうのです。本当はその時の気分がちょっと「やりたくない」に振れただけだったんだけど。。。

■幸運や楽しさはちょっと不安がある”殻の外側”にある

で、怖い事。もしこれがクセになると、幸運や楽しさは極めて掴みにくくなります。なぜなら幸運や楽しさは、大抵自分の心地よい空間のちょっと外側にあるからです。

海外には名言まであります。

Why Life Begins Once You Get Outside Of Your Comfort Zone

/Neale Donald Walsch

ちょっと殻を破ってやってみれば、今までやった事のないちょっと不安もよぎるモノも出来る。めっちゃ楽しいかも知れませんよ。以前記事にも書きましたが”楽しいかどうか”は想像不可能です。やってみないと分かりません。

■拒否グセがある人のデメリット

で、拒否グセのデメリットを考えてみましょう。

  • 対人交流をする勇気を失う

再びアドラー博士に戻ってみましょう。高い所から飛び降りるとかは例外ですが(笑)「すべての悩みは対人関係の悩みである」。不安で”拒否理由”をこじ付けたくなる場合のほとんどは、対人関係が増える時です。

でも幸運のほとんどは人が運んでくる。これをやりすぎると幸運を掴むのに極めてマイナスになるのです。

  • 出来る事が減る

ちょっと気分が乗らない事を論理的に拒否すると、その後も同じ理由で出来なくなります。過去の自分の拒否理由が間違っていた事にしたくないしね。つまり、出来る事がどんどん減っていきます。

「それでもいい。もぉ歳だし」と言った人もいました。でもそれって残り(わずか?!)の人生、楽しくなりますか?! なかなかなりにくいでしょうね。私は生きていてその主義は、同じ時間を費やすにおいてかなり非効率だと思います。

  • ”楽しい人達”から敬遠される

これが一番マズいでしょうね。なぜなら新しい事もチャレンジする「楽しい人」「楽しそうにしている人」は、徐々に拒否ぐせのある人を敬遠してしまうから。

もちろん最初の一回はその拒否に付き合ってくれます。皆大人だからね。「まぁそーゆー理由じゃ仕方ないね。了解ー」って感じ。でも次何かしようと思った時、ちょっと考えちゃうのです。「あの人は誘うのやめようかな。気難しいからな、、、」

つまり同じく拒否グセのある類友以外は、徐々に距離を置かれちゃうのです。そして楽しい事に参加するチャンス頻度を失う。行き着く先は楽しい事でも「やった事あるモノだけ」 まぁそれでもいいのなら言及の限りではありませんが。。。

■「私基本なんでもOKですから」が吉

で、いい方法があります。いみじくも私のスタジオの生徒さんが言った言葉。「私、基本なんでも大丈夫ですから!」 この時はFacebookシェアも、写真掲載も、個人情報開示も、完全な拡散でもないならOKだというのです。(私の友人へのシェアはOKという意味)

そーゆー姿勢の人、一緒に楽しみやすいよね。結局その人はその機会で沢山の楽しい経験を得、沢山の楽しい事をやる仲間を得、人生の幅を広げました。「私基本なんでもOKです」この一言が人生を相当楽しくするでしょう。どうせ同じ時間生きていく

だったら楽しい方がよくない?! 私は強くそう思う。

■サルサ遊びは”ちょっと拒否したくなる”事≒楽しい可能性大

最後にサルサにこじ付けます(笑) サルサ遊びは超高度な人間関係を楽しむ遊びだと思います。初対面で誘い合って、手に手をとって共同作業をする。ほぼ間違いなく初心者は最初「怖い」と思うでしょう。なぜなら沢山の”先輩達”が集まる場所になるから。

私は受け入れられるのか、疎外されてしまうのか。居てもいいと思ってもらえるか、邪魔だと思われちゃうか。ちょっと腰が引けると思います。

で拒否クセがある人。自分への上手い言い訳を作り出して「私$$$だから行きません」なんてしてしまいそうですね。そしてそれをしたが最後、一生?!行けなくなるかも。一度決めてしまったから過去の自分が間違っていた事にはできないから。誰も反論出来ない程の、最もらしい言い訳作ってしまったし。

でも基本「なんでもOK」の精神でいれば、このハードルは克服出来ます。ちょっと不安があっても思い切ってやってみる。思い切って飛び込んでみる。「私基本なんでも大丈夫です。やってみますよ」精神で。

とりあえずサルサなら必ず楽しめるはずですよ。ちょっと人間関係テクがありますが前例多数。補償付きといいたい所です。

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