初心者専門セイちゃんサルサ:つぶやき:ブッダの教え-初心者男性がサルサを踊る時に取るべき姿勢

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今回も露悪趣味的な話。結構続いてますね、ブッダをサルサを楽しめるようにする考え方に当てはめるシリーズ。ちょっといろいろあってね。そんな事を考える機会が多いのです。

「セイちゃんはナーバスだよね」

いや、センシティブだったか、ナイーブだったか。。。そんな事もよく言われました。確かにちょっと病的。自覚ありますよ。だから今まで人間関係めっちゃ苦労したし、それに対する改善ノウハウも大分研究・実施しました。なので今、ある程度の人達に「そこそこ関わっても大丈夫かな」と思ってもらえているとも思う。

で、その猛烈な勉強量と経験値から(笑)初心者男性が抱きがちな「サルサを楽しくなれない考え方」および「改善方法」が言えると思う! 誰かの役に立ちそうかなと思うので書いてみたいと思います。

・「どうでもいい」は有効

以前書いたブッダの教え。何かイヤな事があっても「どうでもいい」と思えというヤツです。真意は「執着を捨てろ」 なぜイヤなのかというと「”万人”に認められたい、尊敬されたい→傅かれたい?!」 でもそれは不可能な話です。

そして更にフォーカスするとイヤな事をしてこない人はする人より圧倒的に多く、またイヤな事をする人も、それをしたのは1回だけ?! そう受け取った自分の認識が歪んていた可能性?! ほとんどの部分はイヤじゃない人の可能性もあるのです。

なのでイヤな事があった時、「(その件は)まぁどうでもいいか。自分の人生への影響はほぼ無いわ」と思うのが良手だという事。うん。納得出来ますわぃね。実際そう考えて気分を軽くするの、難しいけどね(^。^;)

・関わる(誘う)かどうかの判断

様々な宗教・哲学において(仏教、タルムード、聖書、コーラン、スコラ哲学)「自分の心の平安を乱す人は距離を置け」を推奨しています。でもそのスピード感は意外や意外、全部で「ゆっくりやれ」となっています。

つまり「あ、こいつこんな事しやがった! もぉ二度と関わるもんか!」はどの宗教・哲学でもNGみたいです。人間関係は徐々に近づく・離れるが良手。知らんかったなぁ。個人的に反省反省ですわ。(今まで●●でも●●●られた●は●●と●わないとか平気でやってた(^。^;))

・直感は間違いも多い

自己啓発、スピリチュアル、ポップ心理学、セルフエンパワーメントとかでは「直感で”合わないな”と思った人は大抵は合わない。直感(ハイヤーセルフ)を信じて距離を取れ」といってます。ま、ちょい一理あるかなぁとも思える。

でもまず書きたい事。サルサは特殊環境および日本人遺伝子傾向の2つの観点から、「(普通より)直感に頼った判断は間違いも多いかもよ」という意味です。

というのもサルサ。普通の社会生活で初対面で突然手を繋ぐでしょうか?! そんなに長時間近くに立つでしょうか?! うん、無いね。特に日本では。控えめに言って異常環境なのです。サルサを習い始めて、人生で始めて経験する事でしょう。

また日本人は”セロトニントランスポーター遺伝子(5-HTTLPR)のS型(短いアレル)保有率”が多く、不安を感じやすい。(欧米40%、日本人80%)「社会的評価への恐れ」→「社交を減らす内向的行動になる」 つまり、未知の人との関わりに「緊張しやすい」タチなのです。

要するに直感的に「あ、この人終始シラーっとした態度だな。多分私の様なタイプ嫌いなんだろうな」と思える素振りは、サルサ環境下では単に緊張しているだけの可能性があります。

またブッダや他の宗教・哲学も「直感はハイヤーセルフであり、それは概ね正しい」とは言っていません。むしろ逆に「相手をよく観察し、慈悲や忍耐も加味してゆっくり判断しろ」と言っています。

・「与える」しか勝たん

いわゆるギブ&テイクですね。ブッダも他の宗教・哲学も奇妙なまでに同じ事を言っています。与えると「物質的・精神的な報いを得る」。因果の原則は古今東西同様な、絶対的な法則の模様です。もっともこれらはその他「執着や欲望の放棄」「社会的円滑度アップ」なメリットも、大いに語られていますけどね。

ここで私が思った事は上記の”緊張からの拒絶感”と合わせ、「相手は最初はちょっと礼儀に欠く態度を取るかも知れないが、自分は反して良い態度を続けるのが良手」 それで徐々に事が好転する?! 可能性ありそうです。

男女に限らず無礼な態度を取る人は、この世に一定数います。とりあえずこちらは「礼儀を尽くす」と覚悟を決める。と、その内事態は好転するケースが増える。サルサ環境では特に意識すべきでしょう。

私は一時期西郷隆盛流を目指した事がありました。曰く「大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る(坂本龍馬評)」 態度のいい人には良い態度で、そうでない人はそうでなくそうとしたのです。自分を大事に扱ってくれない人を大事に扱う必要は無い、とね。

でもこれはサルサに関しては間違っていそうです。特殊環境も鑑み、しばらくは「与え続ける」 別に金を取られるわけじゃない。覚悟を決めればそれほど心労でもないでしょう。

・「最善を尽くした」を目指せ

これが私は一番響きましたね。「最善を尽くした。あとは相手に委ねよう」 ちょっと投げやりな考えかもですが、究極を考えると何でもそれ以上は無いよね?!

またブッダは「最善を尽くした」と思えると、自己肯定感は徐々に上がるだろうとも言っています。「プロセスを肯定的に捉えることが心の平安をもたらす」 私は一向に上がらないのですが、イマイチ最善までは尽くしていないから?!(^。^;) このあたり、検証の余地がありそうです。

ps:女性にも当てはまるか?

もちろん当てはまるのは確かですが、女性はその遺伝子的傾向から「深い関係じゃ無い異性からの不評」に男性程は悩みません。極めて羨ましいなんて思いますけどね。

でも女性には男性には無い悩みも確かに存在し、どちらが「サルサを楽しむのに有利」とか一概にいいにくそうです。

私はどうひっくりかえっても女性にはなれないので、上記のようにまで分析は無理ですが。限界を感じつつ〆

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