■私は撮られるの、イヤでした
告白します。私は今まで写真に撮られるのがイヤでした。幼少の頃は母が結構写真撮るの好きで、良く撮られていました。それが反抗期になってからイヤになったのです。なんとなく母の自己顕示欲のおもちゃとして利用されている気がして。
「ほら、ウチの愚息がバイオリンなんか弾いているのよ、まだ下手なので恥ずかしいけどーー」的ニュアンスで?!親族とかに見せる訳。本当は謙遜が美徳だからの良い回し&自慢しているのも分かった上で「俺はお前の見世物小屋の希少動物じゃねーんだよ」的。
当時は世界先進国から「日本人は必ずカメラを持って、ブランド物をあさりに行く」と言われていました。これも写真嫌いに拍車がかかったかなぁ。
■自分の写真嫌い、自尊心欠如が関係する?!
そしてそれは社会人になってからも続きました。潜在的に自尊心が欠如している方だったので、ウソばかり付いて自分を大きく見せようとしていたからでしょう。「本当の姿は写真の形でも残したくない」という防御本能が働いた?! 当時の自分を今はそう分析しています。
要するに私はこう思っているのです。写真に写りたがらない人の半分は、自尊心が欠如しているからだろうと。その写真が故に第三者に:
- 付き合っている人達が特定される
- 自分の嗜好が特定される
- 自分の客観的な姿が特定される
いや、分かってます。最後の一つは意味ないよね。写真じゃなくたって対面した相手ならどのみち客観的な姿が見られちゃう。
でも嫌う訳です。化粧に失敗した、服が決まらなかった、髪型が乱れている、等々。その逆チャンピオン・データとでもいいましょうか、それを後世に残したくない?!
いや、正確に書きましょう。写真撮られて、それを後で見かえすのが単純にイヤなんでしょうね。つまり自分としてはあまり納得いかない姿な事が多いのでしょう。そして「私はもっと本当はかわいい/かっこいいはずだ。コンディション悪いからこう写っちゃったけど」
で、撮られるのがイヤ。今日ここでは###が%%%だから、、、
■日本人としての潜在的な癖=幸せにもなりにくい?!
そして私はそれはそれでご自由に、と思っています。今付き合っている仲間/やっている趣味/自分の今々の姿が人に知られると恥ずかしい、、、まぁそーゆー時もあるのかな。私も極度カッコつけ期(3~45歳くらいまで?! 長い(^。^;))はそうでしたし。
でもその嗜好、やもすると『日本人だからこそのリスク』となるかも知れない。それは経済的な事のみならず、「楽しく生きる」という切り口においても。
◆【橘玲】「日本人というリスク」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】
https://www.youtube.com/watch?v=NmFW41IrqnE
セイちゃん要約
- 今までの日本人は悪い評判を避ける必要がある”伽藍”の世界に居た
- それでも生き残れる世界だった
- インターネット出現後は「良い評判を得る”バザール”」でないと『生き残れない』/淘汰される事になる
要するに私が言いたい事。日本人は今まで目立つと損な世界に居たが、その船にこれからも乗り続けると全員一緒に沈没する事になる。
つまり日本人は環境からほぼ無意識に目立たない様にする癖が付いていて、その癖はどんどん自分の経済的・社会的・政治的?!立場を不利にしていくだろうと。
■サルサ仲間の誕生日写真に映らなかった私の理由
例えば私の失敗例。とあるクラブで誰かさんの誕生日がありました。バーサル(ソーシャル・サルサ特有のお祝いの仕方)をやった後皆で写真を撮ろうとなりました。
でも私はその輪に入りませんでした。なぜかは不明。単なる癖?! 「私はこの人と話した事も無いし、この輪に入って「おめー誰?! 知らねーんだけど」なんて撮られる前に言われても嫌だしな」な考えが浮かんだ?! 30%はそうかもね。
いや、もっと正確に書きましょう。”当時の私”が誕生日を迎え、写真を撮る段階で全然知らない人が入ってきた時、私はあるいは腹の虫の居所が悪かったらそんな意地悪を考えたかも!? 自分の性格が悪いが故の邪推が脳裏に浮かんだ。だから撮影されるのを拒否したのでしょう。
そんな私の性格の悪さも混ざった事は提示しておきます(^。^;) 万人がそうでは無いでしょうという話。
■「楽しい人生になるチャンスを逃した」
でも今ならよく分かる。これは悪手ですね、人生を楽しむなら。なぜなら今の多少性格がマシになった私が逆の立場になった時の事を考えましょう。誕生日です。皆が祝ってくれた。拍手も送ってくれた。いい日です。
その記念として写真を撮るとなる。今の私は写った自分を見ても「いい頭の光具合だ」程度にしか思いません。極度にカッコつけている訳でも無いので写真と想像上の自分の認識にギャップが少ないのです。要するに後で写真見返すのも楽しい訳。そんな一枚を残したい。
で、「写真良ければ入ってもらえますか?!」と問う。でリアクションは2つに分かれます。
- 入ってくれる人
- 入ってくれない人
どちらが好印象でしょうか。どちらに感謝しやすいでしょうか。どちらに親近感を寄せるでしょうか。どちらに「何かあったら協力してあげたい」と思うでしょうか。どちらに「会場であったらご挨拶さしあげたい」と思うでしょうか。
そしてサルサの究極の特徴。会場で挨拶をする人が多い所と少ない所、どっちが楽しくなりやすいでしょうか。答えはあまりにも明白です。
■『プラス要素がゼロ&これから衰退要素となる癖』に振り回されるな
そう、私は非常に大きなチャンスを、自分の『プラス要素がゼロ&これから衰退要素となる癖』の為に不意にしたのです。
そして一番怖い事。前にもどこかで書きましたね。おそらくこの類のチャンス、二度と巡って来ません。逆を考えてみると明白でしょう。「あの人は写真とか嫌がるから」となって、一緒のフレームに入ろうと誘われる事もなくなるのです。面倒だもんね、断られる確率大の人にわざわざ聞くなんて。
写真に撮られない様にする人は、ぜひ逆の立場になった時の事を考えてみて欲しい。癖でなんとなくやるとその後長く後悔する?! どっちが幸せになりそうか、ぜひ冷静に考えてみて欲しい所です。
ps:現在の義務教育も悪い”日本人癖”を助長する時代
恐ろしい事。今小学校では自分の写真を撮られる事は悪いことだと教えているらしいですね。曰くSNS流出からストーカー防止とか?!
でもこれも冷静に考えてみて欲しい。発生率はどれくらいなのだろうか。その上で「誰かと仲良くなって楽しい人生になる」と天秤に掛けてみて欲しい。
ゼロリスクは無いのです。そして「楽しい人生を送る」事を過小評価しないで欲しい。資産が人生のKPIじゃないのと同様に、安全でも誰も相手にしてくれない人生なら行きてて浪費じゃないか?! 視聴率を取りたいニュース番組で扱う、人目を引く誇張された悲劇報道に振り回されないで欲しい。色々言いたい事が私にはある。
日本は特に「楽しい人生」<「ちゃんとしていると第三者に思われる人生」の様な気がしてならない。そしてそれが既に限界を超えている、皆不幸になっていく、生きている意味があるのか、、、それを個人個人そろそろ真剣に考えるべきだと思います。
https://www.reuters.com/graphics/LIFE-CAREER-LJA/0100B0CQ0S3/index.html
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