ちょっと流れで思った事を書きます。多分受け入れられない人も居ると思う。てか、以前書いちゃったかも知れません。
つまり、この記事は読む必要はないです。単に私が書きたいだけ。誰にも読まれたくない。(じゃあ書くなよ?! おっしゃる通り。でも吐き出したい(^◇^;))
というわけでここで皆様離脱ください。おすすめ?!の離脱先を貼っておきます。
https://www.youtube.com/channel/UC67ROHxOYRYCVd7IHWrZGdg
では〜(^-^)/
だから読む価値ないって。ほぼ愚痴。後味も悪いよ。ここで離脱しましょ。では〜(^-^)/
享楽的なのが悪い事だと思う人ってどんな人なのだろう。私には割と確固たるアイディアがあります。それは多分「他人の働きがないと生きていけない人」
なぜならその個体は働き者が得た成果物の「おこぼれ」が食い扶持だからです。そして働き者が享楽的になると怖くなるのです。「この者達が享楽行動で疲弊して働かなくなるのではないか。そうすると自分の食い扶持となる”おこぼれ”が減るのではないか」
だから享楽的な行動を見ると「止めたくなる」のですね。「そんな事したらダメなんだよ?!」「そんな事したら皆の迷惑だよ?!」
ものすごい独断偏見を書きます。”他者享楽反対”論者を見てみましょう。概ね殊更税金で暮らしてません?! もしくは時には詐欺まがいなプロパガンダ?!で他人の同情・共感をうまく利用出来た人。つまり、生産的な事はほとんどしなくても「のうのうと」生きていける特権階級みたいな人達だったり!?
おそらく自分で自分の食い扶持を獲得している人って、他人の享楽的な行動になんだかんだ言っている暇はないでしょう。自分の事で忙しい。プラス他人の成果物のおこぼれ量減少なんて恐怖じゃない。
イコール心に余裕がある。他人が楽しんでいるのを純粋に「よかったね!」と祝福できる精神状態なんです。
日本は弱者救済の精神が強いですね。かけっこしててもゴール前で待ってあげる教育がまかり通るとか、ちょっと過剰なんじゃないかと思うくらい。やもするとかけっこで遅いと
「ゴール前で待っててくれよ。弱い人に優しくないぞ!」なんてクレームも当然の世界とか?! 享楽的に風当たり強くなるのも仕方ないかぁと思ったりします。
よって享楽的になりたい人は目立たない様にこっそりやるしか無い。大手を振って楽しむとかしない方がいい。サルサ会場外で盛り上がるとかやめよう。極めて味気ないけどね。
楽しかった思い出を大っぴらに吹聴してもいけない。嫉妬に狂った非生産層が何をやってくるかわかったもんじゃない。困った事にその層が最も行政への影響力が大きく、それに従わないと政治家も票が取れないとくる。もはや処世術なのだ。
極めて残念な現実ですが、そんな事を思わずにはいられない。熟成した社会ではそうならざるを得ないのかも。
人は誰でも、人生が自分に配ったカードを受け入れなくてはならない。しかし、一旦カードを手にしたら、それをどのように使ってゲームに勝つかは、各自が一人で決めることだ。
ヴォルテール/フランスの哲学者、文学者
ご意見、ご感想