■楽しい事が続く→ブレーキ踏みたい?!
またしても攻撃的な題名ですね。でも最近本当にこう思う。楽しんでいても頭のどこかでブレーキ?! このまま続くのはまずい、どこかで真面目に戻らないと。そんな事を考えて手放しで楽しめてない事ない?!
「こんな事ばっかり続けちゃダメだよね。現実の生活に戻らないと!」
皆様はどうでしょ?! それがひいては、
「明日も仕事があるし、疲れて悪影響が出たらまずい?! とりあえずサルサ(and/orレッスン!?)行くのはやめとこう。行ったら楽しいのは分かってるんだけどね、、、」
本当は多少の夜更かしなんて次の日の仕事に影響ほとんどない。どころか沢山に人に会って新たな刺激を受けたり体を動かす方が良い効果さえ出るとも思うのだが、、、(^◇^;)
■一度得た幸せを失う恐怖を味わいたく無い?!
「人間誰しも幸せになりたいと思っているはずです」
自己啓発本とかの冒頭によく書いてあったりしますね。でも私はこれに真っ向から反対です(笑) 「人間はそもそも幸せになんてなりたいと思っていない」
これが真実じゃなかろうか。よく調べるとまぁまぁこちらの意見も散見。「一旦得た幸せも次の機会は得られない!? それは悲しい。だから最初から幸せなんて望まない」 なので今楽しめるんだけどわざとブレーキを踏む。Max値楽しもうとしない。
こう考えるの、私だけでは無い模様です。
■人類最大の願い「変わらないでほしい」
では人間は潜在的にはどうなりたいのか。私の仮説は「何よりも”変わらない”が継続して欲しい」
つまり未来がある程度予測できる状況。これが一番安心するのでしょう。それがちょっと辛くてもOK。つまらなくてもOK。とにかく「今が続いて欲しい」 よっぽど毎日命の危険に晒されているでもない限りね。
なぜならAgain10万年前の話。2連続だから詳細はこちらをみてね。https://seis-salsa.com/refusegirlandshockedboy/5510/
ざっくり説明すると人間の遺伝子(設計図)は10万年前から変わっていない。そして10万年前の生活で生存率が最高になる様に、脳を含めた体全体のデザインが成されているのです。(反対意見は私と橘玲氏にお願いします(笑))
で、その時の人類はどうだったか。間違いなく食うや食わずのギリギリの生活をしていたでしょう。ちょっとサボるとすぐ飢え死ぬ。ちょっと怪我するとすぐ捕食さされる。
「今日は死なずにご飯にもありつけたけど、次は大丈夫かなぁ。飢えて走れなくなる前になんとか頑張ってまた獲らないと」
そんな日々の連続だったはずです。要するに最優先事項は「生き残る」だったんですね。幸せを感じるとかじゃないのです。
■幸せじゃないほうが生き残るのに有利
というか生き残るのに一番有利な心理状態はどーゆーのかと考えてみる。「悲観的で居続ける」なんですね。幸せとは真逆。
例えば運よく獲物をゲット出来たとしましょう。でもいつまでもそれに満足して幸せを噛み締めていたらダメなのです。「次だ次! じゃないとすぐ飢え死ぬぞ」
もし「次もきっとすぐ捕まるってー今はゆっくり休もうぜ/楽しもうぜ」だったら?! ま、飢え死ぬ可能性は悲観的な人より上がりますよね。遺伝的に不利=ダーウィンの進化論的に淘汰される個体群なのです。常に先行きを心配するネガティブ思考、そんな遺伝子だけが生き残れた。
■幸せ<変わらないで欲しい
逆に10万年前での安心材料は?! 「(生き残れた)昨日と概ね変わらない今日と明日が保証される」 まぁまぁ穏やかな気候。そこそこの降水量。安全な場所。。。
そもそもこんな時代だと今日生きているだけで多少のボーナスなのです。「明日もこうだといいなぁ。いい事が起きるなんて贅沢はいらないから、このままでいてくれないかなぁ」
たとえ囚人でも、それほど牢生活が過酷じゃなかったら満足しちゃうみたいですね。「明日もこうだよな。飢えはしないよな」 釈放されても「戻りたいなぁ」と思う人は一定数いる模様。
だから人間はたとえ独裁国家に居ようとも、なかなか革命なんて起こさないんですね。よっぽど圧政で命の危機を感じてから?! 今が続いたら死ぬかもな時。
ロマノフ王朝しかり。
ブルボン王朝しかり。
現ロシアしかり
■サルサは遺伝子的に「悪い事」
で、やっとサルサネタに戻ってきます(笑) サルサってなんで踊るの?! 「楽しくなる」ためですね。生きるのに必要不可欠じゃない、不要不急の典型です(≧∇≦)
で、それは遺伝子的には明らかに「ヤバい」状態。うつつを抜かすとすぐに飢え死にする、”悪”のアクティビティなのです(笑)
だからでしょうね。他人が楽しんでいるのを妨害しようとする人が出てくるのは。
倫理的にどうだとか、周囲の人に迷惑とか、色々言ってきますけどね。(イマイチ迷惑でもないんだけど)
本音は楽しんでいる人達を止めたいんです。その人達がそれにうつつを抜かして働かなくなると、「自身の飢え死にの危険性が上がる」と遺伝子が騒ぐからなのです。
だって10万年前の集団生活で「楽しい」にうつつを抜かす人達が多いと一族郎党で死ぬ可能性が上がるでしょ?! その心配を取り除きたくなるのです。
その証拠に人の楽しみを止めようとする人、どうみても不幸そう(^◇^;) モテない、収入低い、運動不足、コンプレックスの塊、仲間が少ない、、、大体はこの全てを内包している人達でしょう?! 完全に集団その他の働きに依存する類の個体。余計に働いてもらって余剰が出来、そのおこぼれをもらって細々と食い繋ぐ層の人達という事です。
つまり他人が楽しい事で体力を使わない様に、ちゃんと悲観的で次の獲物獲得の為に働いてくれないと困るんですね。真っ先に自分が死ぬ。10万年前はね。
サルサを「うるさい」や「いけない事やってる」と妨害する人達も、実は遺伝子の欲求でやっているだけなのです。
■サルサを楽しんでも大丈夫な時代
でも現代の先進国では?! おそらくすぐ飢え死に的な世の中では無くなりました。常に先行きをネガティブ思考で考える必要、もしくは楽しい事にうつつを抜かして生存が危うくなる事、ほぼ無くなったのです。
人類はここ100年、初めて一般人がサルサを楽しんでも大丈夫な世の中になった。そんな贅沢な社会になったのです。
なので我々は自分自身を理解すべき。沢山の人と交流して楽しむとか遺伝子的には「やばい」と感じる、そんな生き物だという事を。そして本能的にブレーキを踏みたくなる。不必要なブレーキを。
この衝動、現代では不要だし不利なんですけどね。もし「楽しく生きよう」という、生物にとって極めて不自然な人生を送ろうと思うなら(笑)
確かに将来は分かりません。今中国や北朝鮮から核ミサイルが飛んできたら、すぐに心配性が有利な世の中に戻ります。でも今はそうじゃない。そしてそれは起こりにくそう?! だったら本能に逆らって、サルサを思いっきり楽しむのはいかがでしょう?!
アリが心配する冬、来ない可能性がある
寿命等で死んだ後
閻魔様への道がてら、後ろのアリにキリギリスは言うのです
「私の人生の方が良かったんじゃね?!」
人間が遺伝子的に禁忌/慣れていない『享楽的』、良いワードの世界になってきているかも知れませんね。
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