このネタは何度も書いてます。でもまだ書き足りません。なぜなら私の人生最大の発見だから(笑) こんなに人生変わって、こんなに良くなるなんて思いもよらなかった。しかも元手タダ。無料で出来るのです。やらない選択肢が考えられない(笑)
■NO笑顔+挨拶の末路?!
皆様、挨拶ってしてますか?! 私の奥さんの会社の上司として、かつて挨拶を一切しない人というのを聞きました。他人に言われても一切返さない。完全シカトなのだそうです。
でね、仕事はどうもバリバリだったみたいです。てかデディケーション(献身)っての?! 仕事に費やす時間がハンパ無かった。女性で一人暮らしなんだけどね。家に帰りたくない理由もないはず。
てか家に居ても仕事していたらしい。その仕事量で出世街道?!上り詰めた感じ。実際ちょっと無駄な仕事もわざわざ作って、仕事で退屈な暇を潰してた疑いも私にはあるが。
で、人間関係はどうだったか。大体は敬遠されていた模様です。誰も彼女と積極的にコンタクトしない。喋るとしたらメイン悪口言い合える女性同僚とだけ?! ま、さもありなんだが。
間違いなく人生つまらんだろうな。生きてて私の人生なんなんだろうなんて思うのか。それともそれに(も)気づきたくないから休日も仕事をしていたのか。。。
つまり何が言いたいか。労力や能力に見合わず、彼女は相当に損していたと思う。本当は手に入れる事が出来るさまざまな”良い事”が、全然受け取れてないだろう。
そしてその大きな一因として、私は”笑顔で挨拶”があると思っているんです。
■日本は「挨拶したモノ負け」
で、私の場合。私も挨拶しない派でした(^。^;) そんなのは下っ端が上役に取り入る為の行為だろう。「私はあなたに服従しますよ。だから私をその権力を笠に攻撃とかしないでね」のアピールだと思ってね。
小学校でも「挨拶をしましょう」とか習うじゃない。でもそれって「先生」という上役に対して、「生徒」という下っ端が一方的に仕掛ける&機嫌が良ければ先生が挨拶「返す」って感じじゃなかった!?
その証拠に学校内で先生から先に挨拶された事ってありますか?! 朝礼の時が「せんせーおはよーございます」って皆で言って、それに返答する形で先生が「おはようございます」って言ってなかった?! もしくは単に無言で頷いて、それが終わったらやっと着席とか?!
私の”挨拶は下っ端から”の考えは、小学校から熟成されていた気がする。そして日本では”挨拶”を私と同様に考えている人も多いのではと思う。
その他にも芸能界とか挨拶厳しいとか言うじゃないですか。新人芸人や駆け出しのグラビアアイドルの苦労話とかよくありますよね。でも北島三郎や和田アキ子が駆け出しタレントやスタッフに率先して挨拶して回ったという話聞きます?!
でこの環境で育つと奇妙な認識も生まれてくるはずです。『先に挨拶したモノ負け』 対等な立場もしくはどちらが上か明確じゃない場合、どちらも挨拶しないで様子見するとか。私もまさに殆どの場合、これに陥っていました。
■江戸時代に非流動社会が原因
で、考察。どうして日本はこうなったのか。私は長く平和な江戸時代に、多分このベースが醸造されたのだと思っています。
つまりそこには人の流動が無い。藩境を超える自由が無かったのです。一藩の平均人口は9万人くらい?! 今でいうちょい田舎の市くらいですね。福井県坂井市とか?! 隣近所はほぼ知り合い。
加えて制度変化もない。数百年、ほぼほぼ同じ血筋の職業集合コミュニティで、同様の生活が続いていくのです。おじいさんの時代と自分の時代がほぼ一緒の環境?!
それはつまり武士は常に威張っている。町人や農民は理由無しで媚びへつらう。おじいさん世代からやっていれば疑問は無いよね。挨拶する側される側も、だいたい”生まれついての階級”で固まっていくのです。
つまり血筋ですべて決まる。人心を集めようが集めまいが、それほど大きな差が生まれない社会だったのです。そんな時代が5世代は続いた?! 日本文化の根底に、そんなベースがあると思うのです。
■流動社会では笑顔+挨拶は”よくある”?!
でももし人の流動性が激しかったらどうでしょうか。もっと大きい人口単位で交流が生まれる事になるでしょう。知らない人、あまり会わない珍しい人が周囲に頻度高く現れる事になる。
で、その人達はその経緯から、自分の知らない様々な情報を保有している事になります。「ここらへんは行ったら危険だ」「あそこはこんな土地で獲物が豊富に捕れるかも」 そして知らない情報が沢山集まる事はどんな時代でも有利です。”お得”をゲット出来る事に繋がる。
つまりその様な世界では好意的な態度で挨拶をするというのは、情報を集めるのに非常に有効なはずです。江戸時代では意味の薄い事だったのですが。
例えばアメリカ。私は大学留学に様々なカルチャーショックを受けるのですが、その内の一つが挨拶でした。構内ですれ違う多くの知らない人達に「Hi!」と挨拶を受けるのです。しかも結構な笑顔量で。
「え?! 今俺に言ったの!?」
最初は戸惑いました。俺お前の事なんて知らないし。日本では眉を潜めたかも。でも彼らはお構いなしです。すれ違う度違う人からどんどん言ってくるのです。殆どルール的?!
で、今になって考えるとちょっと思い当たる節もある。アメリカの歴史的に、知らない人にも笑顔で「Hi」は”お得”なんでしょうね。広い土地、薄い人口密度、人の流動は極めて激しい。
人恋しいだけ?! さもありなん。いつもは草原にぽつんと家族だけで住んでいればね。でもそれ以上にも情報が欲しい。「あそこは安全」「あそこはいいでー」 未知の人であればあるほど、友好的に接したくなるモチベーションがあるのです。
”人にあったらとにかく笑顔で挨拶”、やもすると処世術だったのかも知れません。
■笑顔で挨拶は”楽しい”
でね、あまりに皆がやるので、やらないと極めて”浮く”事になります。プラス私の日本人魂がざわつく。同調圧力に怯えるという特徴が出るんですね。(しゃーなしに(笑))自分でも徐々にやり出すのです。
で、そしてここからは信じなくて良いよ。この笑顔「Hi」ね、やると楽しんだよ。直後に妙な高揚感が出るのです。
「おれ、なんかイカしたアメリカ人みたいじゃなかった?!」
で、うふふって感じ(笑) ワクワクじゃないんだけど近い感覚かな。かわいい女性に「かわいいね」と言えちゃった時みたいな?!
もしかするとアメリカの小学校ではそんな事教えているかも知れませんね。「街中で人とあったらなるべく笑顔で挨拶しましょーね!」 そしてその先後はヒエラルキーの上下関係に依存しない形。
そう言えば街中で大学講師が後ろから挨拶してくれた事があったなぁ。学長のDr. Benzも中華料理屋で我々のテーブルに向こうから歩み寄ってきた。その時は「気さくだなー偉ぶらない人だなー」なんて思っただけでしたが。
ps.今の日本は流動社会!
上記の様に日本社会は、以前の非流動時代の風習が残っている感じがします。でも今は実際移動する人は多い。上京、帰郷、転職、、、江戸時代にはありえない事です。
そこでもし挨拶を流動社会典型のマナーでやったらどうなるでしょう。つまり「人にあったら知らなくてもとりあえず笑顔で「Hi」だ!」 まぁ周囲は最初戸惑うかな(笑) 慣れてない事で、女性とかは初め警戒するかも知れない。
でもしばらくすれば圧倒的に有利になる?! 周囲に好意的な人がより多く&早く集まり、交流を楽しめるのみならず、お得情報もゲット出来る。
そして知っておいて欲しい。サルサは更に流動的ですよ。5分くらいの関係。次々と人が変わる。その中で如何に多く楽しめるか?! 笑顔で挨拶、ほぼ必須じゃね?!
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