こんなのを見つけました。調べましたが出典は不明らしいです。おそらくネット上で2010年あたりから出てきたとの事。
でね、この言葉がどうだとか、好きな人がどうなのだとか、私はあまり響きませんでした。が即座に「サルサは友達が増えそうだな」とは思いました。
だって理由無く会えますよね?! 会場行けば会える。ある程度”曜日+会場”の条件を合わせればね。
ただ悲しいかな?! 会えるのはサルサ狂だけかも(爆)(ペアダンス狂!?) もし”狂”でない場合、やっぱり理由作らないと会いにくいかもね。レッスンだパフォチームだ理由を作らないと。で、それは好きな人であり、≒片思いな可能性も発生する訳(笑) これで特定されている「友人が増える」とはいい難いです。
また最近よくSNSやYouTubeで見る意見があります「(ちょっとでも?!)合わない人だと思ったら付き合うな。時間の無駄だ」 一人遊び方法が潤沢かつネットで十分稼げる時代だからこその考え方ですね。
私も部分的には同意ですけどね。ブッダ(←最近私は彼に凝ってる(笑))も「距離を置くべき人はいる」との事。もちろんかなりの条件付きですけどね。「明らかに悪意のある者たちとは」と限定。
そしてここまで来ると考えちゃう。私は橘玲氏のファンなのでね。
幸福には金銭資本、人材資本、社会資本の3つが必要だ。社会資本の中でも、深い友人関係だけでなく、広く浅い知人ネットワークが人生の機会や幸福感を増やす。特に、弱い紐帯(薄い繋がり)は、情報やチャンスをもたらし、精神的な安定にも寄与する。
冷たいまでにロジカルだけど、そう言えない事もないですわ。私の場合サルサによってそれ以前より圧倒的に人生のクオリティが上がった。広く浅い知人ネットワーク、確実にWorkします。殆どは会場で踊るだけの薄さですが。
つまりサルサはあるいは誰が来るかわからないけど、「ま、楽しくなれるでしょ?!」という思いで会場に行ける所があります。毎回親友とガチ約束して、常に連れ立って行くのは難しい。相手のスケジュールもあるわけで、結局踊りにもいけなくなっちゃうケースばかりでしょう。
まぁまぁある程度知人は居るだろう。その中には世間話が楽しく出来る”弱い紐帯”な友人も居るだろう。そんな期待をもって行ける場所。そしてその予想が裏切られることがほぼない場所。それがサルサ会場です。”情報やチャンスをもたらし、精神的な安定にも寄与”もされるかもですわ。
おそらくほとんどの場合サルサ人(ペアダンス人?!)のみに許された特権と思われるが如何に。それほど他にはないだろうなぁと思わせる。このセリフを見て、つくづくそんな事を思った次第です。
多くの人々と親しみを持ち、互いに好意を交換することは、人生の困難を和らげ、喜びを増す。真の友は少数で十分だが、広く人々との善意ある関係は、社会での成功と幸福に欠かせない。
キケロ:ローマの政治家、弁論家、著述家
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