前にサルサ場でモテる女性について書きました。結論の「誰でも後天的にモテ得る」と伝えたかったから。もちろん持論でしかありませんけど。
そして今回書きたいのは題名の通り。というのは会社とか、サルサじゃない所で様々な男性とコミュニケーションして思うんですよね。「あーこの人サルサ場でもモテるだろうなぁ」とか。そしてそのその逆もね(^。^;)
もちろん前回にも書いた通り、私は本来モテる方法を書く資格は無さそうです。何しろそんなにモテて無いので(笑) そして女性でも無いので遺伝子的思考癖から「こーゆーオトコはいいよねー」も言えない。
でもどうしても思っちゃう。「あーこの人サルサ場来たらモテる側に入るんだろうなー」とか、その逆とか。(ごめん、ぶっちゃけ逆が多い(^。^;))
そんな話をしてみたくなりました。書いていきます。
挨拶が出来る
これねーホント出来ない人多いね。私の知っている某会社(今勤めているかどうかは秘密)なんて、半分以上は挨拶出来ない。サルサ場でも致命傷的にモテないだろうし、続けててもモテにくいだろうなぁと思う。
そしてこうも言う。私もつい最近まで挨拶出来ない人でした。10年前くらいから?! やっと「挨拶って楽しい環境を作るものなんだ、極めて有効な方法なんだ」と分かってきました。
なんで挨拶出来なかったんだろう。まずは小学校とかで「お友達に挨拶しましょう」と教わらなかったから?! せいぜい「先生に挨拶しましょう」しか習わなかった。挨拶に関してはね。
もっと穿って書くと「先生や目上の人に(だけ)は、率先して自分から挨拶をしないとダメですよ」だったと思う。今でこそ歪んでるなぁと思うけど。
多分江戸時代あたりからの文化に引きづられているんでしょうね。目上の人は自分から挨拶はしない。目下が上の人に”良きに計らってもらえるように”挨拶をするのです。(将軍や天皇なんて見てもいけなかった) 日本での挨拶は、つまりはそーゆーものだったのでしょう。
で、それが現代に来る。率先して自分から挨拶をするのは「私はあなたよりヒエラルキー下です」と宣言していると同じ?! 初っ端から下の立場になってしまうのです。極めて悪手と思ってしまう?!
でも本当はどうなのだろう。例えば思わぬ相手から気さくに挨拶されたとしましょう。よっぽど相手が悪評ある人でも無い限り嬉しくない?! 「「あれ?! あの人図らずも私の事まんざら悪くも思ってなかった?!」なんて思わない?! 思うでしょ?! 思うはずだ!!!(笑)
自分から気さくに挨拶が出来る男性、おそらくサルサ場ではモテるね。間違いない。
明確な笑顔が作れる
これが出来る男性も相当居ない。これ、私は実は本で知りました。15年くらい前の「印象を良くする」みたいな趣旨の本。確かワニブックス?!(笑)
著者は初対面の印象を良くするセミナーみたいなのを主催している人でした。昔はネットが無いので本ですよ本。ちょいちょい買っていました。そこに書いてあったのです。「あなたは思ったより全く笑顔が出来ていません」
紙面にセミナー訓練のBefore/Afterがありました。「笑って下さい」と言って撮った写真。た・し・か・に、Beforeはほぼ笑っていませんね。こうも違うのか。。。私はそれから鏡を見て笑顔の練習を始めました。
仕事をすると本当思います。笑顔、狙って出来ている人は少ないですね。笑っているかどうかわからん。分かる時は何らかの理由で”媚を売っている”時だけです(^。^;) それがまたキモい。その時こそ笑顔でなくていいんじゃね?!
これまた江戸時代くらいの文化の名残かと思われ。笑っていると「なにヘラヘラシテやがんだ。(俺を/仕事を)舐めてんのか?!」とでも言われる環境だった?! ワールド・レベルにはつくづく損な文化です。
なので逆に、自然な笑顔で居られる男性はサルサ場でもモテるでしょうね。非常なる差別化が可能ですし。
相手を見て話せる
これねー私は今でも苦手。話をしている最中、どこ見ればいいんだろうなんて思っちゃう時もあります。上記のワニブックスでは「相手の鼻を見て話すと会話を支配出来る」なんて書いてありましたけどね。難しい!
でもこれ、日本人でもおそらく男性3%くらいは自然に出来るみたいです。その人はつまりサル山で言うボス気質。生まれついての”対人関係強気”でいられる人です。(サル山のオスはボスだけが、他のオスの目を見て対峙するのだそうです)もし”北斗の拳”な世界なら半裸ムキムキの不良達のボスになっていたでしょう(笑)
でもその他97%は自然には出来ません。もし相手を見て話せる様になりたいなら、訓練する必要があるでしょう。私も修行中。なかなか克服出来ません(^。^;)
なので仕事で会う人の中、相手を見て話せる人が居たら思いますね。「あーあの人サルサ場でモテるだろうなぁ。自信満々に見えるもんなー」
話が噛み合う
ま、男性はこれはほぼ出来ませんね。自分の話したい事だけを話したいもんね。私も誰かの話を聞いていて、その最中すぐに自分の話したいストーリーが思いついて、そうなると相手の話を理解するのを辞めてしまう。変わりに考える「どうやったらこの会話に、今私が思いついたストーリーをねじ込めるかなぁ、、、」
でもさぁ稀にいるよね。人の話をずっと最後まで聞いていられる人。そしてそれに対する答えをメインで喋れる人。自分のストーリーをあまりねじ込んで来たりしない。。。体感これまた3%くらい(1/30人)、これが出来る人に会う。
すっごい尊敬するね。そして真似してみたりもする。30秒程しか出来ないけど(^。^;) んで思う。「この人サルサ場でもモテるだろうな。いや、サルサの踊り方も相手に良く合わせられるんだろうなー」
承認欲求がコントロール可
これまたそうは居ない。特に男性はもともとヒエラルキーの動物だからね。周囲からの承認が全てで、それが満たされるのが究極の目的。アブラハム・マズローに言わせると、これが満たされないとより高次な「自己実現の欲求」には、たどり着かないとまで言っています。つまり、承認欲求が無い人は、既に承認欲求が満たされた人だけだというのです。
なのでもしこの承認欲求をコントロール出来るなら?! おそらくその人はある程度のレベルで自分が世間から認められている、役に立っている、必要とされている、そーゆー自己認識があるのでしょう。俗っぽく”自信”と言い換えてもいいのかもしれない。
これねー肩書/ポジションじゃないんだよね。例えば総理大臣や社長とかのポジションでも、「俺は正しい、俺は間違っていない、俺は全てを知っている」を振り回す人もいる。それが故に影で後ろ指さされたりしているんだとしてもね。
つまりはポジションではあまり承認欲求は満たされないんだな。多分動物的勘みたいなので感じているんでしょう。「こいつら本当は俺が間違っている、分かってないと思ってやがる、、、」 そしてその不安から更に言動が硬化する。ま、悪循環だよね。
でも稀にこれが”緩い”人も居ます。別に誰かにバカにされても気にならない。なぜなら自分を認めてくれる人達もいるから。そしてそれが人生に関わる人達のメインだから。一番重要なのはおそらく「だから他の人から無闇に承認してもらわなくてもいいや」と思える事。
私はこれ、表立っては「カッコつける」に通じると思うんですよね。何においても「カッコつけよう」と思う人。とりあえず等身大程度にカッコつかないといけないと思う人(そして大抵の場合その等身大程度が過大評価(^。^;)) それより下だとそうじゃない事を何が何でも認めさせないといけないと思っている人。こうなると承認欲求を不必要に暴走させる。却ってカッコ悪くなる。
でも偶にいるわけです。カッコつけない人。カッコつけなくても平気な人。それはカッコつかない所とは違う場面で、自信のあるモノがあるわけです。それが価値があると思っている。だから過度にカッコつけようとしない。
そして偶にそういう男性います。カッコつけに無頓着。”この事”にはカッコつかなくていいや。そして出来ない自分、カッコ悪い自分をジョークにして楽しんでみたり&もらったりする。こうなると最強だね。
そんな人は「あーサルサ場ならモテるだろうなぁ」と思いますね。常にえも言われぬ余裕が漂っているのです。深い自信からくる落ち着きがあるんですね。そりゃモテるだろう!(笑)
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