実は先日日曜、水泳教室に行ってきました。といっても講師の先生を御成門中学校の区民開放プールにお呼び立てするだけですが。そこで正味1時間半、みっちりと教えてもらいました。
でね、新感覚。今までやった事ない動きで泳ぐ。早くなったと周囲からは言われるが疲れすぎて実感はしない。ただ面白いのです。どうしてもまた試したくなったのです。我慢できなくなった。
そう、お祭りマンボ行く前に泳ぎに行っちゃいました。19:00ちょい前~19:40までガッシガシに泳ぐ。大急ぎで着替える。小伝馬町に急ぐ。会場Inは20:15くらいかなぁ。人は結構いました。
でもそこからがっつり増えたかと言うとそうでもなかったかな?! 丁度いい感じ。踊ろうと思ったらいつでも踊れる、でも相手には困らない程度の人入りでした。
DJはねぇ、多分すごかったと思う。あまり正気にならずに踊ってました。と言うのはなぜか前日眠れなくて、寝不足だったんですよね。少々ぼーっとしながらだったんです。でもトランスキマってたという事は良かったんだろうなぁ。ぼーっとしながらガチ踊りという事ですからね。ハメやすい曲だったと言えるかも。
今日になって読んだんだけど、とある人が「世界中でスタイルは違えど必ずダンスが開発されているが、それは生命を讃え、鼓舞し、鮮やかさを表現するためだ」と書いてあった。響くものがある。昨日のお祭りの会場の雰囲気を感じるとね。
不思議だよね。ダンスしたって獲物が獲れる訳でも元気な子供が生まれる訳でも、ましてや敵がいなくなるわけでもないのに(←古代の人間の生きる意義の全て) 私は「お母さんのお腹の中にいる時に聞いた心臓の音みたいな”リズム”に自分の体の動きをシンクロさせる安心感and/or高揚」が欲しくてダンスを開発したと仮説しているが。
でも私が今踊っている理由は「楽しい」と感じている生命の鮮やかさを表現しようとしているかも。そして相手のそれも鼓舞しようとしているかも。
サルサ、やめられません!
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