■「出来ない」という人の気持ちはわかる
「えーーーーそれ無理ーーー」なんていうセリフ、割と頻繁に聞いた事あるのではないでしょうか。学校でも会社でもそうだし、心の中でつぶやくのが聞こえるならそこここかなり多く言われているかもね。
かく言う私もちょっと前まではガチ常習犯でした。だから使う人の気持ちはよく分かります。
で、やってもいないのに最初からそんな事を言う場合。世間ではこんな理由で言っているんだと想定されています。(YouTube調べ(笑))
「出来なかったら他人に迷惑がかかる」
「失敗したら恥ずかしい」
「今まで拒否していたのに、これからやろうとしたら過去の自分を否定する事になる」
でも私はねぇ嘘だと思う。そんな理由じゃないね、だって私は違ったもん(笑)
■「自分が(他人より)劣等である事が分るのが怖い」
私の場合のすぐに「出来ない」と言った理由は「自分が(他人より)劣等である事が分るのが怖い」 何かやろうとして出来なかった時「他人は出来ているのに自分は出来ない、自分は出来ている人達より劣等/下等なんだ」と気づくのが怖いって事。
例えば小学校とかさぁ私かけっことかでは、わざと本気で走らなかったりしてました。てか本気を出して走っていない事が外部から分かる様に演技していました。最後の方はわざとスピードを落としたりしてね。
この頃の男子のわかりやすい”かっこいい瞬間”って、かけっこ早いなんですよね(なぜかは分からんが) その競争への勝利チャレンジを自ら放棄してたんです。
ぶっちゃけ最初は「私が勝ったら(←勝ってもいないのに図々しい妄想ですが)負けた人はさぞ悔しかろう。それを味合わせないようにしてあげよう」みたいな、歪んだながらも友愛的モチベーションもあったかも知れません。(タレントの乙葉さんが同じ様な事を言ってえらく共感した(^。^;))
でもそれを続ける内に本当に負けて自分が特定の人より劣等である事をまざまざと実感したくない、という思いも一部湧いていきました。で、何かをやるごとに即座に「そんなの無理ー、出来ないよー」とか言う。これは暗に自分自身に「本気ではやらないから出来ないのは当然、だから結果は気にするなよ?! 本気でやったら出来る可能性あるけどな」と言い聞かせている。メンタルな転ばぬ先の杖?!
で、それからちょっとでも難しい事/勝負事をやる必要に迫られた時、自動的/無意識的に口が即座に「出来ない」と言うようになってしまったのです。
■「出来ない」口癖は学生時代に付く?!
困る?!のはこの癖、ほとんどの場合学生時代に醸造されるのではないかという事です。だって小学校とかさぁいくら「出来ない」って言っても結局やらされるじゃん?!
かけっこも然り、運動会、フォークダンス参加、修学旅行、テスト、図画工作、体育の時間、、、選べるなら性格的にやらなかっただろう事もね。
なので図らずもやった事によって起こる楽しい経験、意外に上手くいって他人より評価された偶然、普段は絶対に会話しない怖そうな同級生と修学旅行を同班で回って以後会話するようになる、とかを経験する訳です。要するに強制的に行動者のみが享受可能な”メリット”が、「出来ない」と言っても得られるのです。
加えてロールモデルとして「今回は全然勉強してないよー」なんて言いながら好成績を取っちゃうとかがかっこいいと思う?! えーー勉強してないなんて言ってその結果?! やる気無さげなのに余裕で人の上を行く?! かっこいーみたいな?!
そしてだんだん自分の実力・努力・意欲は隠すもんだ。常にやる気無い感じにしといて、後に結果が出たらマジかっこいいしみたいな?! そんな事が模範になっちゃったりする。
で、殊更何かをやる前に「出来ないよー」なんてやる気なしセリフを言う癖が出来る?! 無気力なのに結果出た時はかっこいい?! 結果出なかくても普通?! やる気だした所を見せて出来なかったカッコ悪さとか無いし?! ありそうな考え方です。
■社会人は「出来ない」=チャンスを逃す
でも社会人になるとそうはいかない。仕事で「出来ない」=「じゃぁ出来るってやつに頼むわ。メチャクチャな仕事されたら後々俺が困るからね」ですよね!? で、任されるチャンスを失う。いつまでも出来る事が変わらない/増えない。当然給料も増えない。
引いては最悪誰でも出来る単純作業の、しかも作業量だけ増えてしまう!? ブラック状態に陥る?! 機械化されてリストラされる?! そんな憂い目に合うでしょう。
プライベートも同様。「出来ないー」なんてやる前に言っちゃうと「あそ。じゃぁこの人誘うのはやめた」と人が離れていっちゃいます。わざわざ説得してやらせるなんて面倒。小学校の先生みたいに”強制的にでもやらせる”事でお金が発生する訳でも無し。
更に悪い事。一回でも即答で断ると(出来ないと言っただけで断ったつもりでは無いかもですが、、、)、大抵同じお誘いは二度とはかかりません。例えば想像してみて下さい。「一緒に海に行こうよー」で「(即座)えーーー海やだーなんか体ベトベトするじゃん」 で、この人に次の月にまた皆で行く楽しい海旅行があったとしましょう。誘いますか?! 99%無いでしょ?! そんなもんなのです。特に即答NOならね。
本当はやる前には思いもよらなかった、小学校の図画工作みたいにやってみたら楽しかった/得意だった事もあったかもしれません。でもそれを味わうチャンスは即答「出来ない」でおそらく”二度と”無くなる。それが社会人の世界なのです。
つまり学生時代はかっこいい可能性まであった「やる気無さげ」な即答NO発言は、社会人になった途端全てのチャンスとそこから得られる可能性のある新たな楽しさを失う事になるのです。ゲームチェンジが起こるのです。
■全力でやると「他人と比較する暇がない」?!
で、ここからは全くエビデンスの無い事を書きます(笑) 私の場合本気で何かをやるとねぇ敗北感や劣等感ってあんま起きないんですよね。本当のマジのマジでやりに行くとね。
例えば私が本気になったのは合気道かな?! 8年間週6回くらい稽古していました。時々には私より上手くやる人もいましたよ。昇級の早い人も居たかな?! でも本気で稽古していると不思議ですね。あまり嫉妬や敗北感って起こらないのです。
てか、本当のマジになると他人が自分よりどうだとか、だんだん意味のないKPIに思えちゃうんですね。それより「この技の時はこうする方がいいのか」とか「これをするならあそこに意識を向ける方がいいか」とか、それだけで頭がいっぱいになっちゃう。他人はどれくらい出来ているかとか、考える暇が無くなっちゃうんです。
で例えばさぁ、どうせやるならちょっとの間そこまでのめり込んでみようかな?!、とか思ってみたらどうでしょう。覚悟しちゃう。「この部署でとりあえず今年中しっかりやってみよう」「このジムでとりあえず一ヶ月、超マジで鍛えてみよう」「とりあえずこの教室で3ヶ月、超真剣に習ってみよう」
恐る恐る、出来る感触あるかどうかと助走しながら、出来なかった時の予防線を張りながらやるから「人と比べてどうだ、恥かくかも」とか考えちゃう。それをやめればいいだけ?!、なんても思うのです。どうせやるなら使う時間も行動も、全部同じなんだからね?!
■「次の10分だけ、超マジでやってみよう」
で、皆様にちょっとオススメ。もし何かやり始める場合は「次の10分だけ、超マジでやってみよう」と覚悟してみてはいかがでしょうか。
即座の「出来ない」コールはしてもいいですよ。長期間醸造された癖なので、なかなか治すのは難しいでしょう。でもその次は心の中でこうつぶやくのです。「ま、次の10分間だけはマジでやってみるけどね」
意外にさぁ全力でやるとなんとか出来るもんよ大抵は。てか人間は本当に出来ない事はやる機会さえ来ないんだって。つまりマジでやれば出来る事だけ人生に現れる、やる機会が来る。そしてそれは大抵素晴らしいもの。ちょっとスピリチュアルな話ですけどね。
■出来るようになるコツ:「そんなの楽勝で出来る」と言う
この動画を見て下さい。
◆【知らないと損!】人生がうまくいく人がいつも意識していること
私が響いた所は「出来る人間と出来ない人間はやる前に決まっている」というトコロ。
出来るのと出来ないの、どっちのほうが人生楽しくなりそうですかね?! 私は出来る人生の方が楽しいと思う。だから私は言おうと思う。「楽勝で出来る」とね。
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